<井上道義的ショスタコーヴィチ世界> 2

2007.10.18

<音楽はアートだ! 真実をえぐる響き 井上道義的ショスタコーヴィチ世界> 2

(2)批判との闘い 交響曲第4番~第6番


【交響曲第4番 ハ短調 作品43】
[正真正銘大傑作!]
〈作曲〉1935~36年

〈初演〉1961年1月30日、
キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

〈楽章構成、演奏時間〉3楽章、約60分
第1楽章アレグレット・ポコ・モデラート-プレスト
第2楽章モデラート・コン・モート
第3楽章ラルゴ-アレグロ

〈編成〉木管楽器20、金管楽器16、打楽器13、ハープ2、弦5部

〈日本初演〉不詳

〔作品について〕
 前衛的手法に積極的に取り組んでいたショスタコーヴィチが声楽を伴わない交響曲
として作曲し、自らの芸術的方向性を進展、結実させた意欲作。コンチェルトグロッ
ソ的要素を持つ第1番、単一楽章で終結部の合唱のテキストには政治的要素の濃い第
2番や第3番から離れた純然たる交響曲として位置づけられ、マーラーの引用などシ
ンフォニストとしての矜持を示す興味深い特徴も備えている。

≪井上道義の目≫
 正真正銘大傑作。これを書いた後ショスタコーヴィチが粛清されても彼は永遠に名
を残しただろう。しかし上手く生きてくれてよかった。
 ここに彼の全てがあり、誰もなしえなかった交響曲の巨大な20世紀のモニュメン
トだ。男の音世界はこれだ。誰だ! クラシックは、女子供のすることだと言った
り、私はクラシック音楽がわかりませんとか言う腰抜けは?

〔ショスタコーヴィッチの周辺〕
 32年にニーナ・ヴァルザルと結婚し、歌劇「ムツェンスクのマクベス夫人」を3
4年に初演すると大成功、35年には長女が生まれるなど、順調な歩みを見せていた
が、レーニンの死後に尖鋭的な革命思想が後退し、仲間でもあった作曲家同盟や当局
の指弾を受け、好評を得たはずの「マクベス夫人」もプラウダ紙から容赦ない批判に
さらされていた。前衛的手法で書かれた第4番は、数回のリハーサルを行ったのち、
作曲家自身の手で楽譜が回収され、発表が中止された。その真相はいまだに謎だが、
スターリン死後の“雪解け”を迎えて、61年にようやく初演が果たされた問題作と
なった。

〔同時代の音楽〕
1935年
R.シュトラウス:歌劇「無口な女」、ガーシュイン:歌劇「ポーギーとベス」、
ベルク:ヴァイオリン協奏曲、オネゲル:劇的オラトリオ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」
ミレッラ・フレーニ、小澤征爾、アルヴォ・ペルト、ルチアーノ・パヴァロッティ生
デュカス、ベルク没
伊福部昭、松平頼則にチェレプニン賞

1936年
プロコフィエフ:「ピーターと狼」、バルトーク:「弦楽器、打楽器、チェレスタのための音楽」、
オルフ:「カルミナ・ブラーナ」初演
エリアフ・インバル、テレサ・ベルガンサ、スティーヴ・ライヒ生
グラズノフ、レスピーギ没

〔その時、世界は〕
1935年
ナチス・ドイツ再軍備

1936年
2.26事件
スペイン内乱
スターリン大粛清開始、スターリン憲法制定

---
【交響曲第5番 ニ短調 作品47】
[抽象画家の描いた肖像画]
〈作曲〉1937年

〈初演〉1937年11月21日、
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニング
ラード・フィルハーモニー交響楽団

〈楽章構成、演奏時間〉4楽章、約45分
第1楽章モデラート-アレグロ・ノン・トロッポ
第2楽章アレグレット
第3楽章ラルゴ
第4楽章アレグロ・ノン・トロッポ

〈編成〉木管楽器11、金管楽器11、打楽器8、ハープ2、チェレスタ、ピアノ、
弦5部

〈日本初演〉1949年2月14日、
山田耕筰指揮、日本交響楽団第304回定期演奏会(日比谷公会堂)

〔作品について〕
 バレエ音楽「清らかな小川」などが簡潔、明快、真実性を掲げる「社会主義リアリ
ズム」に反するとの徹底的な批判を受けてから初めて公にし、大好評を博した交響
曲。前衛的手法から古典的なフォルム、手法を墨守。革命20周年記念演奏会で初演
されたため、日本では「革命」と呼ばれてしまっている。トルストイの「人間性の回
復」をモットーとした構成は、ベートーヴェンの「運命」と同様の苦悩から歓喜にい
たる道程を示しているが、社会主義礼賛は表層的なものにとどまり、その真意はさま
ざまに解釈される。

≪井上道義の目≫
 私事ですが長年、振りたくなかった作品です。10代のころ日比谷公会堂でひどい
演奏を聴いてしまったからか、或いはほとんどの指揮者が、終楽章で乱痴気騒ぎをす
るばかりだったからかもしれない。でもあるとき楽譜を真面目に見てから考えが変
わった。誰にでも判りやすい形式で、繰り返しの多い古典的方法で、自分の音楽を型
にはめてみたのだ。すでに売れている抽象画家なのに街角で町の人々の肖像画を書い
たようなもの。そしたら黒山の人だかりになったのだった。

〔ショスタコーヴィッチの周辺〕
 作曲年の37年には母校のレニングラード音楽院作曲科で教鞭を執っていたが、そ
れと同時にショスタコーヴィチの擁護者であったミハイル・トゥハチェフスキー元帥
がスターリンによる大粛清の一貫で銃殺されている。赤いナポレオンと呼ばれた名将
の死の報は、少なからずショスタコーヴィチの精神を揺るがし、作曲は芸術家として
の良心をかけた命がけの闘争の様相を帯びていく。

〔同時代の音楽〕
1937年
ミヨー:「スカラムーシュ」、ベルク:歌劇「ルル」初演
フィリップ・グラス、ウラディーミル・アシュケナージ生
シマノフスキ、ガーシュイン、ピエルネ、ルーセル、貴志康一、ラヴェル没


〔その時、世界は〕
1937年
ピカソ「ゲルニカ」
盧溝橋事件

---
【交響曲第6番 ロ短調 作品54】
[ショスタコーヴィチの「田園交響曲」]
〈作曲〉1939年

〈初演〉初演:1939年11月5日、
エフゲニー・ムラヴィンスキー指揮、レニングラード・フィルハーモニー交響楽団

〈楽章構成、演奏時間〉3楽章、約32分
第1楽章ラルゴ
第2楽章アレグロ
第3楽章プレスト

〈編成〉木管楽器13、金管楽器11、打楽器8、チェレスタ、ハープ、弦5部

〈日本初演〉1967年12月3日、
キリル・コンドラシン指揮、モスクワ・フィルハーモニー管弦楽団

〔作品について〕
 演奏時間の半分ほどを占める第1楽章は悲劇的な開始を示しながら、次第に瞑想的
で叙情的な世界を示し、通常の第1楽章が省略されたかのような概観を示す。自由な
スケルツォ風の第2楽章、奔放なまでの熱狂を示してクライマックスを迎える第3楽
章は、ナチス・ドイツのポーランド侵攻とソ連領への不可侵に対するソ連国家の危機
意識と安堵感へのシニカルな指弾と解釈する解説が多い。その頃、ショスタコーヴィ
チは母親から離れて暮らすなど、精神的に安定していたとされる。

≪井上道義の目≫
 「大袈裟」が嫌いな人はまずショスタコは6番から聴けば良い。ベートーベンの田
園とは違うが、平和な曲だ。日比谷で聴いて公園散歩…ソヴィエト時代のロシアに生
まれなくて良かったとか思って…ふふふ、幸福ですか?

〔ショスタコーヴィッチの周辺〕
 「民衆の敵」とまで糾弾されたショスタコーヴィチは、交響曲第5番の初演が大成
功となり、”名誉回復”。ムソルグスキー生誕100周年記念祭の準備委員会委員長
となったほか、レニングラード音楽院では教授の地位を得る。第2次世界大戦が起こ
り、ソ連当局は国内の政治犯取り締まりよりも戦時体制の整備に腐心し、文化的には
ゆるやかな局面を迎え、名作のピアノ五重奏曲を40年に完成させている。

〔同時代の音楽〕
1939年
ハインツ・ホリガー生

〔その時、世界は〕
1939年
第2次世界大戦勃発

--
産経新聞「モーストリー・クラシック」編集部 谷口康雄

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