森山開次『死と乙女』

2025.01.09

【2025年1月9日】『死と乙女』
https://www.kaijimoriyama.com/post/deathandthemaiden

【道義より】

渋谷のさくらホールは、なんと言うか、ホール入り口への道筋の造りが悪く
〈区民会館的な場所〉で・・・安田侃氏の素晴らしい作品が2つもあるが置く場所の
サイズが合わないし・・・色々前向きな企画をやってはいるのだが散発的な結果が
惜しい場所だ。

今回森山開次さんがシューベルトの死と乙女を山根一仁君達の四重奏で全曲踊りまくる
というので大きな期待をもって観に行ったのだが、最大に驚き、又もったいないとさえ
感じた冬の夜だった。
当日のお客さんは、森山のファンが多く、その人たちを感動の中に引っ張りこんだ
開次さん、人を飽きさせない粘りと、身体表現の引き出しの多さ、又、蟒蛇のように
経験したものすべてを表現に呑み込む心の広さに唖然させられた。

仙人ジジイ道義、途中から
「この人多分今世界一のダンサーと言い切るべきステージに入った」と感じ入り、
それを見届けることが出来た事を感謝し始めていた。

何故って、まず有名な「死と乙女」だがフランツ・シューベルト、若くして死を迎える
ことになったこの人の濃厚ながら清純な生の香りを醸し出している作品を、一人で踊り
続けるには「??なぜそんなことをするんだ!!」という疑問に答えなければならない。

それをやり遂げることが出来たのだから、今や彼はニジンスキー以上の存在で、
その天衣無縫であるようでいて恐ろしい程の緻密な時間の構築は常人ではない。
何処から考えついたか知らないが自分を東方教会のイコンの中の存在として演じ、
舞ったようだがまずはそのアイデアにぶちのめされた。

当然それは彼自身ではなくそこに文字通り投影されたのは「神」、復活さえしたキリスト
ではなく、その背後の象徴である「神そのもの」を少女や青年等の性別さえ超えた
シューベルトの音楽に現れる「死と隣り合わせの永遠そのもの」を遠慮会釈なく見せ
切った。いやはや、このまま世界中回って欲しい内容だった。


前座としか考えなかった?のかこの夜の前半のプログラムは奏者が弾きたいから弾いた
だけ?なのか後半とも関連がなく(照明効果を加えたり、演奏もそれぞれよかったのだが)
捨て石のようで残念、いかにも、さくらホールだった。

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